道元禅師の教え
而今の山水は、古仏の道現成なり。
「而今」とは、“いま、この一瞬”ということ。この瞬間、目の前にある山や川は、過去現在未来を超えて、仏法を説く真理そのものである。『正法眼蔵・山水経』より
宇治川に沿って進むと現れる「曹洞宗高祖道元禅師初開之道場」と刻まれた大きな石柱。石の総門をくぐり仏徳山・朝日山に向かって一直線に続く「琴坂」を登り詰めると、楼上に宝冠釈迦如来を安置する龍宮造りの山門があります。法堂を中心に左右対称に、僧堂と庫裡が建てられている伝統的な七堂伽藍が完備した境内は、威風堂々として訪れる者を厳粛な気持ちにさせます。
宇治市指定有形文化財。平安時代中期、小野篁作と伝えられ、『源氏物語』宇治十帖の「手習」の古跡に祀られていたといわれることから、「手習観音(てならいかんのん)」とも呼ばれます。右足の親指が少し浮いているのは、「衆生の困苦をを救うため、すぐ駆けつける」と言う意思を表しています。※扉を開けて中にお入り下さい。
道元禅師が越前領主波多野義重(はたのよししげ)公の勧めで越前へ赴いた後、興聖寺は応仁の乱(1467)や兵火に遭って哀微してしまいますが、寛永10年(1633)淀城主として入国した永井信濃守尚政(ながいなおまさ)公が、領内の霊跡見回りの折、道元禅師開創になる興聖寺の廃絶を惜しみ両親の菩提のため、慶安元年(1648)に伏見城の遺構を用いて本堂、開山堂、僧堂、庫院、鐘楼、山門などの諸堂を建立整備し、道元禅師を開山とする仏徳山興聖寺を現在の地に再建しました。
元々は修行僧が経典、祖録を学ぶ学問所である衆寮ですが、現在は参禅者の研修会、写経会などにも使用されています。
修行僧の食事を作る禅寺の台所、飯台座(食堂)寺の事務・受付などを行う部署があり、禅寺の食の守護神である韋駄尊天が祀られています。
料理を担当する典座の心得を示した道元禅師の著作『典座教訓(てんぞきょうくん)』は興聖寺で著されました。
東司・浴司
修行道場では僧堂、東司(お手洗い)、浴司(お風呂)を三黙道場として大切な修行の場所としています。七堂伽藍の中の一つ。
- 東司(お手洗い)
- 浄、不浄の心を問いただす烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)をお祀りしています。
- 浴司(お風呂)
- 跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)をお祀りしています。
鐘銘は江戸時代初期の朱子学派儒学者である林羅山の撰となっており、「興聖の晩鐘」として宇治十二景の一つに数えられております。
禅宗独特の放射架が特色ある龍宮門は、どんな修行僧も龍の如く大成するという願いが込められています。
興聖寺鎮守秋葉三尺坊大権現を祀るお堂。毎年一月には秋葉さまを本堂にお迎えして大般若祈祷会を開催しています。
坂の両脇を流れる水のせせらぎが琴の音のように聞こえたことから「琴坂」と名づけられました。新緑や紅葉が美しく四季折々の様々な表情を見ることができ、興聖寺を代表するスポットのひとつとなっています。
お墓のお祀りに関する不安や継承問題の解決の一つとして納骨供養塔を建立いたしました。お申し込みについてはどのようなご相談でも承りますので、まずはお気軽にご連絡ください。
琴坂を登りきった左にある「茶筅塚」。碑の背面に裏千家家元千宗室氏による「抛筌(ほうせん)」、表千家家元千宗左氏による「謝茶」等が宇治石に刻まれています。毎年、10月の茶祭りでは、全国から集まった茶筅の供養が行われます。
奥の院「朝日山観音」
興聖寺の裏山に位置する朝日山と仏徳山があって 朝日山の頂上には古くから観音様が祀られています。観音堂の横には、「古事記」にも登場する「菟道稚郎子」のお墓が祀られています。大吉山(佛徳山)展望台からは、宇治市内が一望できます。